インターネットの世界への入り口

私がインターネットの世界に入ったのは高校2、 3年生くらいの時だった。

それまではメールと時々通話しか使っていなかったから最初はよくわからなかった。

一番初めに使ったのはファンだったアーティストの友達募集の掲示板だった。

色々な人が募集をしていて、学校の中でしか友達が居なかった私にとって異世界のように感じた。そして何人かと連絡を取るようになり、仲良くなって手紙のやりとりもするようになった子もいた。

また、しばらくやり取りをしていた子と会う事になった時もあった。

そんな経験は勿論全く無かったから最初は少し怖かったけど、同じ歳という事もあって会ったらとても明るくていい子だったから安心して話せた。ライブにも誘われたけど丁度受験の時期だったので私はちょっと難しく、受験が終わったら一緒に行こうねと約束した(因みにその子は就職先が既に決まっていた)

もう1人とても仲良くなった子とは離れた所に住んでいたけれど、東京での公演に一緒に行く事になって初めて実際に会えました。

電話もしょっちゅうしていたので会話も自然に出来てとても盛り上がった。

他にも知り合った子はいたけれど最終的にはこの2人の子と長く付き合っていた。

(片方の子とはやり取りはほぼ無いけれど今も連絡先は知っている)

 

そしてそこからまた違う世界にも入っていった。それがメンタルヘルスというジャンルだった。

その頃は自分には全く病識も病気でも無かったのできっかけははっきりと覚えていないのだけれどある人のHPを知り、そこのBBS(わからない人はググってみてね⭐︎)に勇気を出して書き込みをしたのが始まりだった。

そこで長文のやり取りをしたり、その子の日記を読んだりした。

その子の日記は本当に文才を感じられて、でも笑える文章でこんな風に書けるようになりたいなとも思った。

そしてそのBBSでおすすめの人として南条あやさんとCoccoというアーティストを教えて貰った。あやさんはHPもある上に本も出されていると教えてもらい、早速本を買い読んでみたらまるでその教えてくれた子のような読みやすく、そしてクスッっと笑えたり心から心配したりするような文章だった。すぐにファンになった。

そしてこの方と話してみたいと強く思った。すると最後の日記の後、彼女が亡くなっていることが記載されていた。

まだ18歳という若さでこの世を去っていった事にも驚いたし、残された人々の気持ちを考えると計り知れない想いになった。

その後彼女のHPに行くと追悼掲示板などがあり、沢山の方に愛されていたんだなと改めて思った。

そしてその方が好きだったアーティストがCoccoだった。

教えてくれた子もきっとこの方がきっかけで好きになったのかもしれないなと思った。

そんなきっかけで私はメンタルヘルスの世界に入っていった。(私自身も高校を卒業後精神的に良くなくなっていっていたのもある)

因みにその色々教えてくれた初めてお話した子は不眠症を抱えていて、クラスになかなか馴染めないでいた。

(1人仲が良かった子がいたらしいけれど、学校を辞めてしまったらしい)

だからこのHPが大事な居場所だとよく言っていた。

こんな私とも沢山話してくれて、辛い時にはメールをくれたりした。

ただ、その頃の私には彼女の辛さを理解することがなかなか出来なかった。

例えば「今日ね、また好きでもなんでもないクラスの男子と寝ちゃったんだ」という内容を話してくれたんだけど、まず何故その男子と寝たのかがわからなかったし何の経験も無い私には寝るという行為すらよくわかってなかった。

それでも返信はしたけれど、今思えば本当に彼女が励まされる様な内容だったのかと思っている。(内容は覚えていないけれど)

そんな風に深い話をしたりして、彼女の学校の文化祭に誘われたこともあった。

私が丁度用事が入っていて結局行く事は出来なかったけれど、もし行っていたら今も何かしらの形で繋がっていたんじゃないかなと思っている。

そして彼女は無事に大学に進学し、幸せな毎日を過ごしている様だった。

ただその後は連絡も途絶えて今は何をしているかはわからない。

どうか変わらず幸せな毎日を過ごして欲しいと今も願っている。

そしてもう1人彼女を通して仲良くなった人がいて、その方も日記を書いていて日常を見させて貰っていた。

その方は私より年上で病気のため働けないでいた。

それでも趣味の楽器演奏をしたり素敵な彼氏さんと毎日を過ごしている様子が伺えた。

勿論辛そうな時も沢山あって、その度にBBSで話を聞いたりしていた。

そんな日記の中で親から

「もう◯◯はお金や仕事の心配をしなくていいよ。◯◯1人をこれから生涯育てていけるくらいのお金はあるから」

と言ってくれたと書かれていた。

その文章を読んだ私は良かったね、としか思わなかった。

しかし今ならその言葉がどれだけ凄い意味なのかがわかる。

一生仕事をしなくてもお金を貰って、払ってもらって生きていけるという意味なのだから。

今の私が読んでいたら勿論心から良かったねとは思うけれど、同時に正直心底羨ましいと思う。お金のことで親からほぼ縁を切られ、常にうちにはお金がないお金がないと父はぼやき、その雰囲気にどうすることも出来ない母は耐えるしかない。そんな"お金があれば普通の暮らしが出来ていた"毎日を送っていたのだから。

全ては私のせいでかかったお金のせいなのだから。

ただその彼女に対して憎んだりする気持ちは無い。多少羨ましいなとは思うけれど病気で苦しんでいたことは事実だったし、もしかしたら彼女は彼女なりに悩みもあったかもしれない。そんな中でも生きていたから。

今は連絡先も交換しなかったのでどうしているかはわからないけれど、もう1人の子と同様少しでも生きやすく過ごしていて欲しいと願っている。

 

そんな感じでインターネットの世界にどっぷりとハマり、その代償として毎月の携帯代金が2万超えてしまったのであった。

まぁその代償は高校生にとっては痛かったけれど(バイト代ほぼ携帯代に飛んでたし)

そのおかげで現実だけを生きていたら絶対に出会わない様な人と沢山出会う事が出来て今に至っているのだから。

出会う形はその時代時代で変わっているけれど、どんな形であれ所詮ネットで出会った人でしょ?と思ったことは一度もない。むしろ現実の友達より深い仲になった子もいた。

今はすっかりX(やっぱり未だにTwitterに慣れすぎて違和感しかない)が主流になっているけれど、ここで出会えた方々とも現実の友達と同じくらいこれからも交流していきたいと思っておりますのでどうか宜しくお願いします。

…なんか最後宣伝?みたくなっちゃったな。笑

 

そんな私のインターネット歴でした。

 

フィルムカメラに残る思い出

今の前の前に某アーティストのおたくしていた時に撮っていたフィルムカメラの写真が出てきて最初は「あー懐かしい〜〜」と余韻に浸ってたんだけどどの写真を見ても皆同じ距離で撮ってるのに自分だけ10歩くらい前に出て撮ってるのでは?と疑うくらいに1人だけ顔の大きさが2倍なのである。

というより他の友達が加工したんじゃなかろうかってくらい小顔なのである。

ある一枚の写真は3人で写っていて自分の隣に写っている子は当時どこの公演も一緒に行っていて、普通に遊んだりするくらいに仲が良かったんだけどその頃副業でモデルの仕事をしていて本当に同じ昭和に生まれたのか?と疑うくらいにスタイルが良い上に(というかあの頃の友達大体スタイル良かったけど)(そしてほとんどの子は同じ年だった)肌が弱くて化粧は眉毛を描くことしか出来なくてつまりはほぼすっぴんだったのに抜群に可愛いのである。

当時似合わない化粧を必死にやってライブ会場に来ていた自分って一体…と今絶望している。

そしてもう1人一緒に写っている子はモデルこそやってはいなかったけれど身長は160後半で顔がパ○ュームのかしゆかちゃんにめっちゃ似ている(当時本気でこの子がかしゆかちゃんなのでは?と疑っていたくらいには似ていた)子で、その子と2人でライブに行くことがあったんだけど私が待ち合わせの時間に遅れそうだったので駅で待たせるのも悪いと思って会場近くのマックの中で待っててと彼女に伝えて遅れて私がマックに着いたら何故かその子は店内ではなくお店の前で待っていて、暑いから中で待っててよかったのにと私が言うとその子が実は…と話始めた。

元々は店内で待っていて、1人で座っていたらしいんだけどいきなり隣に座っていた男性が立ち上がってその子に携帯の番号とアドレスが書かれた紙を渡しながら「あの、付き合って下さい!!」と結構なボリュームで言ってきて周りも「何事?」みたいな雰囲気になってしまい「ごめんなさい」と言いながらお店を出たという経緯があったらしい。

それを聞いてそ、そんなマンガだかドラマみたいなことが本当にあるのか…!!?とかなり驚いた。

あ、そういえばモデルをやっていた子も高校の時にバイトしていたセブンで3年間で5回くらいレジで携帯番号が書かれた紙を周りにわからないようにこっそり渡された経験があったらしい。

もうなんか色々と次元が違いすぎる…そして今後この子達を待たせてはいけないと心に誓った。

 

というか今思えば他のどのおたく友達もなぜなのかわからないけれど揃いも揃って皆可愛すぎてた。なので例えば渋谷を何人かで歩いていて友達がナンパされそうになったら私が「すみませんちょっと急いでるんで」と割り込むと「お前に言ってんじゃねーよブス!!」という捨て台詞を吐いて散らせることが出来たのでなかなかの盾になれていたのではと自負している。

 

それでも一緒に居られたのは当時の自分は見た目より楽しいが勝っていたからだった。高校時代、短大時代と友達と呼べる子が殆ど居ずいつも陰口を言われていた環境のあとだったから本当に幸せな時間と空間だったのだ。

友達からの紹介やらナンパで(笑)また友達が広がったり、同じ会場にいればライブ後に皆で集まって話して笑ったり…まさに青春を謳歌している気持ちでした。

 

 

そしてどうでもいい話ですが、ある公演前に何人かで集まって話していたのですが、私の向かいに立って話していた子2人が何故だか私の方を見て笑ってるんです。ずっと。

流石に気になって「え、なになに?」と問うと

ジーパンの上の方見てみて(笑)」と言われたので見てみると(因みに履いていたのはダメージジーンズで、ところどころ穴が空いていました)上の方に穴が開いていて、パンツの部分が丸見えだったのです…!!

まっっったく気付いていない私を見て笑っていたという訳です。

それに気付いた私はそりゃあもう恥ずかしいったらありゃしないよ状態であたふたしていたのですが、パンツの色が黒だったので「まぁデザインに見えなくもないよね!!」と勝手に解決させていました。

(果たして解決した様に見えていたかどうかは神のみぞ知る←)

まぁそんな事を言い合える関係だったという事です!!!!

 

〜fin〜

 

承認欲求とは

たまに肥大した承認欲求やばいとか何たらかんたらとか見かけるといや別にええやん承認欲求あるからSNSでいいね貰えると嬉しいわけやん?コメント貰えると飛び跳ねて喜ぶやん?(クソリプ除く)そこで幸せ感じられるとかめっちゃコスパいいじゃん?

 

自己紹介とかのタグ出すのも承認欲求=人との新しいつながりを求めてる→少しずついいねとかしあって距離を縮めていく→たまにコメントなんかしてみる→お互いTLで見かけるとニコニコしちゃう

→これも承認欲求あるから得られる幸せなわけやん?

めっちゃコスパいいよね(私はまっったくコスパ悪いけど)(どうしたら自己紹介カードに100やら200が付くのかが永遠の謎←こういう人はSNSに向いてない)

 

まぁ全員がとは言わないけれどとりあえず少しでも承認欲求無かったらSNSやらんだろって思う。「あと100人いいねしてくれたら嬉しいです!」

「フォロワー4桁になりました!ありがとうございます!!」

こういう人は一見向いてるように思えるけど、フォロワーがなかなか伸び悩んだら絶対凹むし何とかしないと…!!とまさに承認欲求を求めまくっていると私は思う。

 

そしてまっったく関係ないけれど某坂道グループの「承認欲求」の歌詞が厨二病拗らせてるのは百も承知だが個人的に好きで、更にMVでメガネかけてた子が思いっきりメガネを足でぶっ壊すところがたまらないです。

 

 

#ブログ書き初め

この間たまたまnoteのお題見てたら #note書き初め ってのがあったから書き出してみたんですよ。でも

こ こ note じ ゃ ね ぇ

と心からツッコンダンデスケド内容として良きじゃないか!てな訳でちょっとパクって #ブログ書き初め にしてみました。まぁ捕まる訳じゃ無いし…ね。

 

てな訳で自分のブログ書き初めの内容は「5個の今年新たに挑戦したい事」にしてみました。

 

1、数年ぶりに連絡を取っていなかった人にLINEしてみる(あくまでも「自分が」やりたい事なので例え返信が来なくともそれはそれで良しとする)

多分これが一番の挑戦というか一番高い壁だと思う。とにかくLINEをしてみてもこちらが止めてしまう率が99.9%なので(悪質過ぎる)きちんとレスポンスを続けるという事、そもそも連絡を取っていない人にLINEを送る勇気が出ないというこんなんで挑戦出来るんか?というマイナス面しかないのだけれど、特に喧嘩別れをした訳ではないし連絡を取っていたり会っていた時楽しかった人とこれっきりというのは悲しいというか勿体無いと思ってこれを課題にしてみた。

果たして何人から返信が来るかは全くわからないというか来るとは思っていないけれどもやる事に意味があると信じて頑張ってみようと思う。

 

2、いつも行く散歩コースとは別のところに行ってみる

笑えることに6、7年今のアパートに住んでいながら一方の方向しか知らず、そこ以外の方向に一体何があるのか、どっちに行けばいいのかが全く知らないというかわからないのである。

行こう行こうと思ってはいるんだけれどもそう思って今に至っているので今年こそはいつも行っている方向の逆に行ってみたいと思います。

 

3、もんのすごーく簡単な事でいいから習慣的に何か一つおかずを作る

これも1つめに難関なんだけれど、いい加減自分キッチンに立てよ!そして料理しろよ!という単純な理由です。

キッチンに立つのは食器を洗うか米を研ぐかさつまいもを切る時だけという現状を何とかしたいです。

 

4、少しずつ少しずつ部屋を片付ける!!!そしてそれを維持する!!!

とにかく物が多いという現実はよーくわかっているのだけれどとにかく捨てられないので今年は断捨離をひたすらに頑張りたい。

(ここで言っときゃ少しはプレッシャーというか頑張らざるを得なくなるだろうという願いを込めて)

 

5、浪費しない!!とにかくいらないものは買わない!!!!

買うか迷ったらとりあえず保留にして一回家で似たようなものや同じものが無いかを確認して改めて考える!とにかく保留が出来ないのでとにかく家を漁る!!!

少し漁ると同じ物が出てくる可能性が大変高いのに保留が出来ないとか無駄すぎる…

(所信表明)

 

今年こそは頑張りたいと思います!!!

 

2023→2024

昨年の年末年始は数日実家に帰ることにした。正確には親に帰ってこないかと言われたのと数日分でも食費を浮かせたかったからなんですけどね。(あと毎年見ていた某カウコンがやらないから特に見たいテレビもないってのも大きい)でもいざ帰ると決めると何だかワクワクしてしまい、帰る日の前日なんかは珍しく調子が良かったりなんだり。

まぁそういう感情になるのは行く前と1日目くらいなんですけどね。

そんな訳で地元に着くとみんな大掃除をしていて早速居づらくて仕方なかった。

(親には手伝ってよと言われたからその方が居やすい!と思ったのに冗談だよーと言われて結局居づらかった)

私が帰宅したからか親が掃除をひと段落させていたのも申し訳なくて、だったら帰ってきなと言わなければ良かったのでは?と思ったけれどもちのろんでそんなことは言えず

「なんかごめんね〜〜」と作り笑いで謝罪しといた。

一応水周りは終わったらしかったんだけど(日本語おかしいな)こっちからしたら水周り以外どこを掃除するんだ?ってくらいにはリビングもキッチンも片付いてるから不思議で仕方なかった。で、それを聞いたら「何言ってんだ、窓拭きにキッチンの上拭いたりやる事沢山あるよ」と言われて大掃除とは普段掃除しないところを綺麗にする事だという事を思い出した。

自分の家が年がら年中物に溢れて一年中調子が良い時にちょこちょこ掃除をしているのでつい掃除と大掃除の違いを忘れてしまっていた。

そして私が大掃除という言葉を使える日はやってくるのかな…と心で苦笑いしてしまった。

で、私がその日に朝から何も食べていなかったのでご飯をいただいた後は帰宅すると恒例の洗い物を洗う→洗濯物の取り込み→洗濯物畳む→布団出して敷くってのをこなしました。

正直帰省ラッシュの中電車を乗り継ぎ帰ってきたので疲れまくっていたのだがそんな事言えないので常に元気だよアピールをしておりました。

で、その日の夕飯はラーメン屋さんでラーメンを食べに行く事になっていたらしくラーメン屋に向かったのですが…そのラーメン屋が無い!どこだ!行きすぎたんじゃ無い?と妹が言って元来た道に戻ってまた走ってみんなして血眼でそれっぽいお店を探したのだがやはり無い!!

父親曰くそのラーメン屋はかなりこじんまりしてお店なのか民家なのかわからないくらいにはわかりにくいらしく、その上その辺りは街灯も無いもんで真っ暗な中からそんな店を見つけるとかウォー◯ーを探すより難題だろうよと思いながらもそのお店の塩ラーメンがメディアか何かに紹介されたくらいには美味しいと聞かされていたので私も必死に探したのだが…結局見つかりはしたのだが営業していなかった…

よく聞けばそこは日曜日が定休日らしく、そんな店が年末年始営業してはいないだろうよ…とみんなで納得して、結局よく行く安い某ラーメンチェーン店で食べる事にした。

だがしかし塩ラーメンの美味しさをプレゼンされたからには一度は行きたいので次回は日が出ている土曜日に行こうぜ…!と勝手に次回の予定を心で決めていた。

で、帰宅するとただでさえ疲れていたのに外食をしてきたので疲れのピークを迎えて敷いた布団にしばらくダイブ…しようとしたら私が買ってきたお土産を今日食べないと賞味期限が切れると呼ばれて食べる事になってしまって内心ヒーヒーしながら食していたもんだからあんまり味わえなかった。

そして疲れていてもこなさなければいけない一大イベント、お風呂が待っていることも思い出し何とかかんとか順番が回ってくるまで横になってHPを回復させた。

(毎回思うけど何故に実家だと毎日風呂に入って全身洗えてスキンケアもこなせるのかが謎で仕方ない。まぁ冬場は浴室に暖房あるし足が伸ばせる程良い温度の湯船があるからという点があるから入る気になるのかもしれないが)

で、お風呂から上がり髪の毛乾かしたりしたらもう眠気が眠気でおかしくなりそうだったので、みんながリビングでテレビを観ている中ひと足先に寝た。

みんなお風呂という重労働をこなしたというのに元気にテレビを観て会話してるとかどんな超人だよ…と尊敬しながら目を閉じた。

翌日。とにかく眠い!眠すぎる!と二度寝三度寝を繰り返してそろそろいい加減起きなと言われて自分の中ではお昼前後くらいだろうと思って起きたらまさかの3時…自宅じゃあり得ない時間である。(めちゃくちゃ調子悪くて過眠状態は除く)やばい!起きなければ怠けてると思われる!と飛び起きて朝ごはん(正確には昼ごはん)を食して…結局また布団にダイブしてしまったのであった…

だがしかし今日は大晦日。年越しの瞬間に風呂に入っているというのは流石に嫌なのでみんな早めに入り始め、結局ダイブしても少ししたらお風呂の時間になってしまった。

で、夜になりテレビのチャンネルをコロコロ変えつつみんなで観て(チャンネル権は当然父親なのだが何故か一つの番組をずっと見れない飽き性なのでしばらくするとチャンネルが変わってしまうのである。相棒と孤独のグルメを除き。)

すぐ近くにあるうどんとそばを売っている店の手打ちのそばをずるずると啜りながら五郎さんが食べてるテレ東の社食のカレー美味しそうだなぁとか思っていた。(大晦日にやっていた孤独のグルメの話です)

で、いよいよ年越しが近づいてきたのですが私の眠さもどんどんピークに近づいてきて(勿論私以外のみんなは普通)「ね、ねむ…」と6回くらい呟いていたのですが、23時過ぎ迄必死に起きてきたのに0時を迎える前に寝るなんて努力が水の泡じゃないか…!!とよくわからない負けず嫌いパワーが発揮され、無事にゆく年くる年にて0時を迎えることが出来ました。

みんなであけましておめでとう〜とボソボソ言い合って(うちの家族は基本的にテンションが高くなるという事がない)私は即布団に入りました。

本当にすぐ寝たので一体みんな何時まで起きていたんだ?と不思議で仕方なかった。

まぁ帰省前、大体22時前には寝る生活をしていた私が単に早く寝過ぎていただけなんですけどね。

 

で、元旦に全国が震撼する出来事が起きてしまい

ました…。

字幕での警報はまだ耐えられるんですがよく視聴者から送られてきた動画とかを見ると引っ張られて調子が悪くなるのであまりテレビは見れませんでした。

(ここら辺の話は割愛します)

 

翌日は私が買いたいものがあったのと親が買ってきて欲しいものがあってそれが全てドラッグストアにあるものだったので妹の運転で2人買い物に行きました。

帰省してもなかなか妹と2人で話す機会が無かったので久々に色々と話せて良かったです。

今回は家でも結構みんなで話せた気がするので嬉しかったです。

…がしかし、この日の夜に私がやらかしてしまったのです。

お風呂から出て、自宅で普段身体を拭いたタオルで鏡を拭けば鏡掃除になって良いという情報を知ってからそれをやっていて実家の鏡も綺麗にしておこう!と拭き始めたら鏡が取れてしまったのです…結構デカい鏡で、どんなに元の場所に立てかけても落ちてきてしまってこりゃダメだと父親を呼んで直してもらったのですが、なかなかに苦戦していて私の脳内は

「やばい…やばい…機嫌悪くなる…怒られる…機嫌悪くなる…」

という言葉がぐるぐると反復し、気付いたら呼吸がうまく出来なくなってしまいました。

でもそんな姿を見せたら益々機嫌が悪くなるのを私は誰よりもわかっているので父親にバレないようにササっと頓服を飲んで布団に潜り、しばらくぜぃはぁしつつ何とか回復してきました。

でもこれ以上起きていることは無理だと確信して、髪の毛も乾かさずに「眠いから寝るねー」と作り笑いをして寝ました。といってもすぐには寝れなかったですが。

やっぱりこういう時どうにもならないんだな、変わることはないんだなと改めて実家に居る時の毎日のように泣いていた毎日を思い出しました。

幸い父親は機嫌が悪くなることはなかった様で翌日普通に接してきましたが、私の心はもう帰りたくて仕方なかったです。

元々いつもより少し長めに居たのもあったんだと思いますが、やはりこの家に私の居場所はもう無いんだと改めて確信しました。

元旦と2日は天気があまり良くなかったのでみんなで家に篭もり、私が帰る3日に初詣へ行きました。

ここ何年も初詣に行っていなかったので新鮮な気持ちでした。

(未だにうちの近くにある神社がどこにあるのか、そもそも近くに神社があるのかすら知らないやる気なし人間なので)

数年前にほぼ毎年行っていた頃は毎回おみくじを引くと大吉だったので今回も期待を込めて引くと

母「あ!大吉だー!」

妹「あ!私も大吉だ!!」

私「(どれどれ……私も大k……)あ…末吉…」

年明け早々神様から嫌われているのだと思うと今年一年が不安でしかなくなりました。

ただ病の部分は良いことが書かれていたのでちょっとホッとしました。

くじ引き引く前にお願い事しまくったのがいけなかったのかな…とか思ったり。

(願いたい事なんて数えきれないくらいあるに決まってるじゃないか!!そりゃあ神様もそんな強欲な奴の願いを叶えてくれる気にはならないとは思うけども!それだけ今が大変なんだ!よ!)

で、帰りに少しだけ出ていた出店でクレープを買ってもらってモゴモゴみんなで買ったものを食べて私はそのまま駅に送って貰って帰路につきました。

結論から言うと楽しかった面も勿論あったけれどとにかく疲れた…。

リビングで座ってるだけでマラソンしてきたんじゃないかってくらい疲れてきて何回も布団に横になってたし。

母に笑いながら「気疲れしちゃってるんじゃなーい?」と言われましたが笑い事じゃない。何故なら確実にそれだから。と思いました。

勿論今の家族との関係は良くなったと思います。みんなで年越しを過ごしただなんて恵まれていると感じます。

でも私は家族に言ってないことが多すぎる。それがバレたら今度こそ完全に縁を切られる事もわかっています。

だから就労に向けて頑張っている、幻聴には悩まされているけれど薬と何とか上手く付き合って努力している、大きな悩みはそれくらいの人間に偽装しなければいけないのです。

正直それだけでも疲れます。でも今の関係を崩したくないという気持ちが勝っているから偽装してでも、疲れても数ヶ月に一回くらいのペースで帰省しています。

いつまで持つかは分かりませんが、バレてしまう日が来るまで、それまでの間だけでも貴重な時間を過ごさせて下さいと願うばかりです。

今年最後の診察日記

先日(2023/12/27)が今年最後の診察でした。(本当は前回がラストだったというのに頓服を貰うのを忘れてしまった為、今日になってしまった)

とりあえず頓服だけ下さいと話すと

「よーし、沢山やるからな!」とよくわからないサービスを頂けました。

そして薬の話をしているというのにいきなり

「俺さー、女からエッチだねって言われたいんだよー」

と訳が分からなすぎる話をし始めて

私は「はぁ…(また始まったよ)」と心で呆れていました。

今年の最後の最後までセクハラ話をするとは…

まぁいい先生ではあるんですけどね。セクハラ発言以外は。

そしてこの話を一刻も早く切り上げたかったのでこっちもいきなり「今年も一年お世話になりました。」と一年のお礼を言いました。

(前回の診察の時言い忘れたから)

すると主治医は

「俺の担当してる患者の中でもお前は上位に入るくらい心配だったよ」

と言ってきました。

私は最初「えっ?そんな心配かけたか?」と思ったのですが、言われてみれば警察の方には何度も迷惑をかけてしまったし救急車には最早何度乗ったか分からないくらいお世話になってしまい、親が2時間以上かけて実家から来たりと様々な人に迷惑をかけてしまった一年だったと振り返り、そりゃあ先生も心配するわなと納得しました。

そして来年はとにかく幻聴がマシになりますようにと心底願いました。

(先生が前回から出してくれた薬が効いてくれれば恐らくマシになってくれる…はず)

 

で、ここからは幻聴話とは関係無いんですが主治医のセクハラ発言は段々と慣れてきたのですが(慣れたくはないが)セクハラ発言より腹が立つのが某5人組グループの話題でして、毎回毎回

「あいつら解散してからの方がいきいきしてねぇか?」

という話をしてくるんです。

まず心から言いたいのは

「解 散 じ ゃ ね ぇ 活 動 休 止 だ !!!!勝 手 に 解 散 さ せ る ん じ ゃ ね ぇ !!!!(怒)」

という一言です。(一言じゃないか)

で、メンバー一人一人の名前を出してきて

「ニノなんかめちゃくちゃいきいきしてるよなぁ!!」

とか言ってくる始末。

あなた数年前のあの日の会見見ました?その後に翔さんがぜーろーで言い切った瞬間見ました?見てないですよね?見てもいないのにあたかも自分の意見が正論!みたいな発言やめてくれません?と言いたいのを我慢して

「はぁ…」と返す私偉いなと毎回思ってます。自画自賛です。何故ならば我慢度1000000%でも抑えてるから〜〜ルルル〜〜

私が彼らを好きだからこういう話題を出してくるのかもしれませんが、好きだとわかっているならば普通そんな失礼な話するか???

と不思議で仕方ないです。

兎にも角にも来年はこの手の話題はぜっっっったいに話さないで欲しいと切に願っております。

地雷という意味がわかっているならばもう既に私の中の地雷は踏まれまくってますから!な!!

っつー感じです。

(あとニノ呼びは100歩譲って許せるにしても翔さんのことを櫻井は〜とか相葉さんのことを相葉は〜とか呼び捨てで呼ぶのも地味に腹が立つ)

 

長くなりましたがとにかくこの怒りをどこかで吐き出したくここをお借りしました。

(すみません)

 

最後に、皆様の来年が良い一年になりますように、と心から願っております!!!!

 

 

私がヘルプマークを持たない理由

私はヘルプマークを持っていない。

理由は一つ、申し訳ないからだ。ヘルプマークは見えない障がいなどを持った人がもし公共機関、外などで体調が悪くなった際には助けてください、席を譲って下さいという意味合いを持つものだと私は解釈している。

 

最近はよく電車内などで見かけたりするようになり、見かける度に「きっと今とても頑張って電車に乗っているんだろうな。無理しないでくださいね。」と勝手にエールを送っている。

 

確かに自分も夏場は暑さに弱く、救急車にお世話になることは何回かあったり年末には動けなくなるくらい過呼吸が止まらず、会社の人に大変な迷惑をかけてしまった。

あとこれはヘルプマークを付けていた方がいいのかなと少し思うのが駅の階段を降りる事がなかなかに難しく、エレベーターを使うことが多い。勿論ヘルプマークは付けていないのでベビーカーや年配の方と一緒に乗ると「こいつこの年齢でエレベーター使うなんて甘えてる」と思われてそうで毎回乗る時にひっそり心の中で謝罪している。

…って結構困ってるやんというツッコミが来そうだがそれでも何故か申し訳なさが優ってしまう。

 

そして前から困るのが救急車に乗ると必ず実家に連絡が行ってしまうことである。

たかだか過呼吸になっただけで2時間以上かけて車で来てもらうなんて申し訳なさ過ぎるし(親も過呼吸は休めば治るのを知っているから勿論来ないけど)だからといって過呼吸真っ只中で「親には連絡しないで下さい」とは言えない。

ヘルプマークを持っていたら「親には絶対に連絡などをしないでください。一人暮らしなので誰にも連絡しないで下さい。」とかを記載出来るのだろうか。

(まぁそうすると誰に連絡すりゃいいねんとはなるが仕方ない)

そう考えると自分にもヘルプマークが必要なのだろうか?となるが、やはり文頭に書いた通り申し訳なさが優ってしまいなかなか踏み出せない。

 

とりあえず救急車に乗るハメになっても親には絶対に連絡しないで下さいとだけは大声でお願いしたい。