精神科病院のホームレス

たまたま見ていた動画サイトの中で“精神科病院のホームレス“という言葉を聞いて数年前の自分の状態はこれだったんだってスッとした。

 

数年前、私はガチの引きこもりの状態が続いていてついに父親が爆発してしまい「もう家から出て行け!」と言われ、閉鎖病棟の病院に入院する事になった。

最初は一生入院させるような話だったのだけれど、とにかく病棟の雰囲気だったり看護師さんの厳しさがキツくてキツくてこんな場所に一生居なければいけないという事に絶望しかなかった。

入院し始めて半年程経った頃に“グループホーム“という存在を親がワーカーさんから教えてもらい、そこで住んだ方が生涯生きていきやすいのではという事で空いているグループホームを探し始めた。

(勿論見つかるまではずっと入院)

しかし、グループホームは今人気なようでなかなか空いている所が見つからず「ああこれはもう一生ここにいる事になりそうだな…」と諦めていた。

そして入院し始めてもうすぐ1年になるくらいな時期にやっと1箇所空きがあるグループホームが見つかったとワーカーさんから伝えられて本当に本当に救われた、と心から嬉しかった。その後一度見学に行き、その時は住んでいる方々は作業所に行っていたので誰もいなかったのだけれどその時の私はとにかく病院から解放されるならどこでもいい!という気持ちしかなかったので即入居を決めて1年以上の入院から抜け出しグループホームでの生活が始まった。

しかし、入院の頃からずっと続いていたのだけれど父親から入居にあたって決まり事を言われ、

スマホの利用時間は1日30分(それ以外の時間はグループホームのスタッフさんに預かってもらう)

・毎月のお小遣いは3000円

(その頃はまだ障害者年金も貰っていなかったのと食事はホームで出るので毎月3000円で充分だと言われた)

他にも細かいことを色々言われ、入院していた頃とほとんど変わらなかったがその頃の私は病院以外に居られるなら何でもいいという思考だったのでその約束を守りますと誓った。

そんな訳でグループホームでの暮らしと週5の作業所通所が始まった。

 

ただ、生活し始めて段々とマイナスな点が沢山出てきた。

 

まずグループホーム周辺の環境が悪い。

駅まで歩いて30分以上かかる上に駅まで行く交通手段(バスなど)も何もないし、唯一あるコンビニも歩いて15分くらい歩かないと無く、コンビニ以外にあるのは近所にあるの豆腐屋と昔ながらの雑貨屋(雑貨といっても日用品なので売っているのはザルとかタワシとかしかない)くらいしか無くて何か買いたくてもすぐに買うことは出来なかった。

またグループホームでの生活も困ることが多く、冷蔵庫が共有で中に自分が何か入れてると同じ利用者さんに盗まれたり(本人には悪いことをしているという自覚が無いのと何回注意されても直らない)お風呂に入ってたら男性の利用者さんにドアを開けられるという事が多々あったり、利用者さんは私以外は知的障害な方しかいない為なかなか会話が成立しないので(これは知的障害な方は悪くないので仕方ないけれど)話す方がいなかったり…

かろうじて個室があることは良かったけれど、この生活が一生続くのかと思うと辛くて仕方なかった。

けれど私には帰る場所はもうない。

父親からはもしグループホームから出るような事があったらまた入院だからなと言われていたので。

だから毎日耐えるんだ耐えるんだと自分に言い聞かせて生きていた。

 

…が、我慢は日に日に耐えられなくなってきて遂にみんなでご飯を食べている時に自分のご飯を思いっきりひっくり返すという行動をしてしまった。

その後スタッフの方に「次こういうことをしたら出ていってもらうからね」と注意されたけれどもその時の自分にはこんな生活が一生続くなら入院していた方がマシだと思っていて、いけないことなのは重々承知していたのだけれどもう一回ひっくり返してしまった。

父親からは勿論また入院するぞと言われ、再び入院生活が始まった。

その時今の主治医が違う病院に行ってしまったのでそちらの病院に行った。

そこで主治医が一人暮らしを出来る様にしてやると言ってくれ、私の一生入院するという人生に初めて一筋の光が見えてきた。

その後一人暮らしに猛反対していた父親に怒鳴りつけてくれたり生活保護受給や障害者年金の手続きを始めてくれた。

そして入院生活が1年近くになった頃生活保護が決定し、今の家に一人暮らしをする事が決まった。

 

人生に絶望しかなかった自分を救ってくれた主治医には今でも本当に感謝している。

(セクハラ発言は相変わらずだけども)

そんな訳で私は精神科病院ホームレスから抜け出せたのであった。

元々は自宅で引きこもり生活を送っていた自分がいけなかった訳なので“精神科病院ホームレス“になってしまったのは自業自得であることは自覚しているし親に申し訳なかったとは思っているけれどもあのまま入院していたら、グループホームで生活していたら自分は生きていただろうかと今改めて思ってしまう。