「人に嫌われるということ」


自分が人生で一番怖いことは人から嫌われることであった。

「あった」と過去形なのは今はさほどでは無いという事である。怖いことには変わりないが。

 


小学校1年生の時からパシリにされ、クラス替えをしてやっと自由になったと思ったら新たな頂点カースト女子にパシリにされていた人生だったからとにかく中学では仲良くなった子から嫌われないようにと必死だった。

話題に困らないように何かネタが浮かんだら紙に書いて教科書よりそっちの紙の方が大事という芸人みたいな生活をしていた。

それが前に書いた縁を切られた友達である。自分の中で彼女達とは絶対に縁を切るなんてことは無いと思っていた。それが現実化した時のショックは計り知れないものだった。

しかし、この経験を通して恐怖感が「絶対に嫌われないという事はない。いつどんな時でも嫌われる時は嫌われる」という一つバリアが張られてた上で成り立つ恐怖(ここまでくると恐怖と言っていいか少々疑問だが)に変わっていった。

 


学生時代の友達が人生で一番理解してくれる人とは限らないしだからといってネットで知り合った人と一生付き合えるかと言われたら正直確率は期待できない。

そう考えると人に過度に期待をしなければ自分の精神衛生上良いのでは無いかと思い始めたのだ。

 


この子とならずっと付き合っていける、絶対に裏切らない!と思ってきた子からある日突然ラインをブロックされたらどうなるだろうか。Twitterをブロックされたらどうだろうか。

自分の受けるダメージは計り知れない。勿論好きだから離れていかれたことは悲しい。それは当たり前の感情である。

だから…というのも安直な考えだが私は本当に信頼をして大好きな子と仲良くさせて貰っていてもいつその関係が無くなってしまってもいいや、という考えを常に持つようにしている。

これはあくまでも私の思いだけど友達と仲良くなっていくと知らず知らずのうちに好きだから無意識に依存という感情が生まれている気がする。

そうした中でもし相手からサヨナラを告げられた日には当然相当な喪失感と悲しみに苛まれると思う。

それでもそんな辛い思いを仲良くなる度にしてしまう。

きっとその経験をする度にその時は精神的におかしくなってしまうんじゃないだろうかと感じるかもしれない。でもその感情は皆抱えるものなのだ。大事なのはいかにしてそこから切り替えられるか、這い上がれるか。

 


いきなりワールドワイドなことを言うがどんな生き方、考え方を持っていても人は皆平等に人生は一度きりだ。

なら、感情を客観的にみて「人に期待をしない」という思いを抱いて生きていく生き方も悪くは無いのではなかろうか。

あとこれも持論だが、離れてしまった人に対して「何で?私何かした?」ではなく「今こうして離れてしまったという事は元々縁が無かったんだな」と切り替えることも自分のメンタルをあまり無駄に削らなくて済むと思う。(これは就活で不採用だった時にも使える…少なくとも自分には効いた)

 


わかっている。自分を防衛するのは自分が弱いから、自分が傷つきたく無いから。つまり言い訳。

でも弱いんです。傷つくとその傷跡を元に戻すまでにとてもとても時間がかかるんです。なら「期待しない」という「感染予防」を使ってもいいんじゃないのかな、と思うのです。少なくとも自分にはこれを使わないとやっていけない。

あと期待しないに沿って言うと相手から見返りを求めるのもなるべく意識しない方がいいと思う。

それは別に私がこれだけ優しくしてるんだからあなたも同じくらい尽くしてよ!とかそんな大それた事ではなく、特に緊急性があるわけでもないたわいのないラインを送って帰ってこなくても別にいいやとかそういう身近な「見返り」である。

 


こうして文章にしてみると「友達」になるだけ、なってただただ楽しいひと時を過ごすだけの筈なのに人生1番の苦労してるみたいだなと思ってしまう。

そして本当にこれはあくまでも自分の考えなのでご了承ください。