油断するとやってくる影

(これはあくまでも自分の中での話です)

 

自分は常に見えない先の事は考えないように、これをやればきっと楽しいとかあのパンが食べたいとか「今」を考えるようにしている。

だがしかしふとした瞬間に「未来」という影が迫りくる時がくる。

去年、就活中だった妹と話している時の事。その少し前まで妹は自分も一人暮らししたいな~と言っていたのでこのご時世ではあるけれどいっそ都内とか県内の中心部で就活してみたら?と言ったら「いや~現実問題難しいな~。就職先が都会でもいつかはこの家(実家)に永住して親の介護しなくちゃいけない訳だし・・」と返ってきて私は本当に驚いた。親は結構な年だけれど妹自身はまだ若いので多分同世代のお友達は親の介護の事なんて考えている子は殆どいないと思う。それなのにこの人はもう未来の自分を見据えているのだ。私は驚きと共に泣きそうになった。自分が彼女の年齢の頃なんて遊ぶことが最優先みたいなものだったから(正確にはガチの引きこもりだったからそれどころではなかったけれども)もっと遊ぶこと考えていいのに。恋したり旅行したりとか夢見ていいのに。介護は勿論自分がやるべきものだとも思っていたから「またまた~そういうのは長女の役目だから君はもっと遊びなさいな」と返すと「いやいやお姉ちゃんはまず体調を整えてそれから○○(名詞を出すのが嫌だ)と仲良くならなきゃ」と言われてまた泣きそうになった。いや、泣いた。ほんのり。彼女はわかっているのだ。私が今の状態では介護は到底無理なことを。そして実家には帰れないことも。わかっている。それは自分が一番よくわかっている。でも妹にこんなことを言わせたくなかった。言ってほしくなかった。

自分が何もできず布団にくるまっている間に親はどんどん年を取っていく。そしていつか体が思うように動けなくなる日が来る。

うちには老人ホームに入居させてあげられるようなお金はない。そうなると自然と私たちでどうにかせざるを得なくなる。これは紛れもない現実なのだ。

私は自分の事でキャパオーバーしていて真剣に考える余裕もなかったけれどこの妹の言葉がきっかけで「親の老後」について考えるようになった。同時に自分の加齢についても気になるようになった。夢を持ってそれに向かって頑張っている人は素晴らしい。でも自分には全てを捧げてまでしてやりたいと思う夢がいまのところ無い。そうすると自分の年齢でろくな職歴も資格も無い人間の末路というものを考えてしまう。

年齢と実務経験というのは最大の武器だと思っているので武器も何もないただただ無駄に年をとった人間の行く末って・・となる。

だが働かなければ食べてはいけない。家賃も払えない。生活ができない。そうなるとどんなにやりたくない業種でもやらざるを得ないのだ、生きていかなければならぬのだと確信する。

偏見が入ってしまうが古びた工場でお局ババアの下で永遠にお菓子の詰め作業をすることになるかもしれない。よく駅前にいる住宅展示場の看板を持って座っているおじさんと一緒に看板を持って座って生涯を終えるのかもしれない。

ここまで考えると脳みそがクラッシュしてくる。でもそれも100%無いとは言い切れない現実なのである。

 

過去を振り返るのも嫌だけれど未来を考えるのはもっと嫌だ。そうなると抗うつ薬で気持ちが悪くなり眠剤が効かない今が一番マシなのか?とかおかしな発想になってしまう。