「人との距離の取り方〜支離滅裂な思考編〜」

考えれば考えるほど、そして大人になればなるほど自分は人との距離の取り方や人とどう接すればいいかがわからなくなってきた。(この2つが果たして似た問題なのかは甚だ疑問だが)

 


前の記事の出来事以外にもある時期に今考えるとそこまでしなくても…と思えるくらいにとにかくガツガツ掲示板を利用したりして知り合った子と一緒にオフ会を企画したりと必死に友達を作る事をして過ごしていた。だがしかし実際仲良くなっても段々連絡を取らなくなっていって「おや…?」と思った時にはもう音信不通、みたいな事が多々だった。

 


距離感云々以前に仲良くなれていたのだろうか、友達と呼べる段階だったのか、とかどんな関係だったのかな?相手は自分のことをどう思ってくれていたのかな?と今更?!みたいな初歩的な事を思ってしまう。

でもそれは決して接していた時間が短かったからではなくて接してみた結果であり、知り合ったばかりでも話してみて関わってみて「この人と考え方近いな」とか逆に「自分に持ってないものを持ってる人なんだな」と尊敬に近いものを感じたらそれは何かの縁なんじゃないかなと思う。

 


だから10年付き合ってきた人とだっていつか意見が合わなくなって疎遠になるかもしれないし1ヶ月しか付き合ってないけど何でも話せる関係になれるかもしれない。

それも実体験としてあるからだ。

そんな沢山の出会いと沢山の別れを経験してきて頭に浮かんだのは冒頭に書いた「人との距離の取り方」だった。

 


ここからは完全に人の意見になってしまうのだが、少し前にあるアカウントのついった上である人をブロックすべきか悩んでいて(決して嫌いになったとかそういうわけではない)唯一自分がどんなに「好き」が変わってもフォローしつづけてくれている子に思い切って相談した事があった。(余談だが自分は只でさえ人に相談とかが出来るタイプではなくこの時も眠剤を飲んでからDMを送っており、半ば自分の意思ではなかったので翌日結構焦った)

で、そこで返してくれたアドバイスはネットだろうとリアルだろうと相手を傷つけることはしてはいけないけどネットの世界なら相手を傷つける事なく相手の言葉達をシャットアウト出来る、それはミュートという方法がいいのではないかと言われた。

これはついったやってる人なら「何でやらないの?!」と思われそうだけど私はミュートというものをした事がなかった=存在を知らなかったのである。

そしてミュートというものがいかにお互いに害が無いかが分かりこの手があったか…と合点した。

 


その子の意見としては常にフォローしている人の文章は当たり前だけど何もしなければ目に入ってくる。でもその文章が見ていてあまりいい気持ちがしないのに毎日毎日見なければいけないなんてせっかくのリアルから切り離されて楽しめるツールでも疲れるだけ。なら見たい文章だけ見ればいいんじゃない?という事。

現にその子もフォロワーの半分くらいはミュートしているらしい(まぁ彼女はフォロワー数の桁が違うから納得も出来るが)

そして思い切ってミュートしてみたらそれまでタイムラインを見るのが怖かった気持ちが無くなり気軽に見にいける様になった。

そして彼女はリアルでの友達との付き合いについても話してくれた。

 


上記で自分が話していることに似ているかもしれないが個人的にDMで話した事があるからって、何回かやりとりしてLINE交換したからって別に親友になった訳でも心底信頼できる人になったかどうかなんてわからない。

逆にたまにリプしたり究極相手のツイートを見て「わかるーー!」と勝手に共感している方が見かけは浅く見えるけど関係は深くなっているかもしれない。

 

そして彼女の大きな自論は相手が依存してくるくらいの親密さを求めてきたら避けるという事である。

勿論これは人それぞれ違うし逆に依存してくれる事に喜びを感じる人もいるかもしれない。

でも私はそれを聞いてなるほどと思った。自分は距離感の掴み方が分からないのもあるけど依存されたりするのも多分得意ではないし(全てを受け入れる程の度量がないから)特定の誰かに全てを委ねるのも心地が悪い。

例えお互いを分かり合えてるからと言って全てを曝け出したくないし曝け出して欲しくないのだ。

そんな自分にとって彼女の言葉はとても刺さったというかこれが自分の求めていた人との距離の取り方なのかもしれない…!と気付かされた。


人は嫌いじゃないし仲良くなりたいと思う人とは仲良くなりたい。でもお互いの踏み込まれたくない部分に土足で入りたくない、ただそれだけなのだ。

 


そうは言っても人間関係とはなかなか難しいものである。だから「人との距離感」とは永遠の課題なのではないだろうかと自分は思っている。